この協会発足、プロジェクトスタートのキッカケは、代表理事である汐田眞樹子が娘同然に育ててきた姪御さん、琴美さん家族にあります。
琴美さんのお子さんトキア君は『水無脳症』と言う重度の障害を持って生まれてきたのです。
琴美さんたちの力になれないか…、障害者の会の代表に連絡をとったり、コンタクトを取ったりするうちに、琴美さん家族だけではなく、障害があっても子育てを楽しもうとする家族へ何か力になれないか…そんな想いが芽生え、活動していく事と協会の設立を決意。
「インクルーシブ公園」などの施設が増えるように「インクルーシブな世界」が広がりますように、そんな想いから設立、命名した協会になります。
汐田の想いに、しばしお付き合いください。
「琴美が妊娠したよ。」
ある日、弟が伝えてきたのは姪の妊娠報告でした。
「とにかく元気な子が生まれますように…」そう祈る日々。
何故なら姪の琴美は「トゥレット症候群※1」というハンディキャップを抱えていたから。
琴美の出産当日、江ノ島神社で「元気な子が生まれてきますように」とお参りをしました。
しかし生まれてきた子供は「水無脳症※2」という重度のハンディキャップを抱えていたのです。
「なんでこの子たちばかり…」と、私はとても辛くなり、かなり落ち込んでしまいました。
ところが、そんな私を慰めてくれたのはなんと、琴美だったのです。
自身の子に迫りくる「死」と対峙しながら…。
私は自身の不甲斐なさを反省しつつ、琴美の「その後」を考えました。
何か残してあげなければ…と。
琴美はとても明るくかわいい子で、歌手になるのが夢。
ギターもピアノもすぐに弾けるようになりました。
でも、ハンディキャップを抱えた彼女は、いつしかその夢を諦めていました。
そして出産した子がまた、重度のハンディキャップを…。
2021年、その事を知った歌手の方が楽曲を提供してくれました。
「演奏したり歌ったり、好きにしていいよ」と言ってくださったのです。
歌にのめり込んだ琴美は「やっぱり歌手になりたい」と、再び夢を追うようになりました。
※1
トゥレット症候群とは、「チック」と呼ばれる特徴的な運動や音声が自分の意志とは関係なく突然現れ、繰り返す症状が1年以上みられる病気です。トゥレット症候群の原因について、はっきりとしたことはまだ分かっていませんが、遺伝的要因と環境的要因の両方が関わっていると考えられています。トゥレット症候群の患者では、大脳基底核と呼ばれる脳の一部分の異常や、ドパミン系、セロトニン系など神経伝達物質の異常が関係していると推測されています。
Medical Note(メディカルノート)
https://medicalnote.jp/diseases/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4
※2
水無脳症とは、大脳形成不全症ともいい、生まれつき、大脳が形成されていない病気です。この病気の胎児は、多くが死産するようですが、出産した場合、平均寿命は3歳とされています。ただし、10歳以上の患者もいます。治療法はなく、症例も少ないため、他の病気と比べて情報は少なく、詳しい原因はわかっていませんが、何らかの理由により、胎内で成長する間に、血液が詰まり、大脳が形成されないのだそうです。
HOSPITA.JP(病院検索ホスピタ)
https://www.hospita.jp/disease/3651
そんな時、私にイベントプロデュースのお仕事が舞い込みました。
「だったらそのステージに琴美に出てもらおう」それがこのプロジェクトの最初の[キッカケ]でした。
そしてこの[キッカケ]であるイベントを考えていくうちに、1つの構想が私の中で形作られていきます。
その構想の重要な「核」となるものが【写真】でした。
そこに至った経緯をお話しするには、まず私の過去をお話ししなければなりません。
養護施設での生活
私は幼いころ「養護施設」で育ちました。
私を育ててくれた施設、感謝の気持ちもあります。
でもちょっと深く記憶を辿ると “隠したかった過去” が顔をのぞかせます。
怒られるときは叩かれたり、お茶碗が飛んできたり、食事をさせてもらえなかったり…。
冷たい鉄パイプの檻のようなところで寝かされることもありました。
ちょっと反抗的なことを言えば“暗い個室”に閉じ込められます。
ドアがガタガタと鳴る風の音が怖くて、泣き出していたのを思い出します。
思い出すと苦しくなるので、ずっと心の奥に封印してきました。
写真に関わる日々の中で
養護施設から出て中学生になったある日、駅でモデルにスカウトされました。
「10年やってごらんなさい」そんな言葉を受けてモデルの仕事にのめり込みます。
「仕事が楽しい!」「自分が自分じゃないみたい」「今までの生活がウソみたい!」
とにかく刺激的な日々で、自分自身が成長していったのを覚えています。
そして、モデルとして写真を撮られながら10年ほど経ったある日、ふと思ったのです。
「幼少期の自分はどんな子だったんだろう」
私には、養護施設時代の【写真】が一枚もありません。
写真を見て、過去を確認することができないのです。
写真は生きてきた軌跡を残します。写真を見ることでその日に戻ることができるものです。
私にとって養護施設時代を思い出すのは辛いことだけど、覚えていない幼い頃の自分や、周りから見た自分を確認できるのも【写真】だけです。
私はどんな自分でもやっぱり、
【写真】が見たい! 【写真】が欲しい!
そう強く思いました。
写真の中に見つけたかった「何か」それはきっと、その頃の自分はどんな子で、どんな人たちと、どんな表情で過ごしていたのか…
「今の自分が居る」そしてその”ルーツ”を【写真】の中に見出したかったのかもしれません。
そんな【写真】への想いが、琴美たちを見ていてふと蘇ってきました。
愛された思い出、そして全力で愛した想いを形にして、残された家族が、未来に向けて笑顔でいられるよう、何かできないか、それが「写真を残す」という想いに繋がったのです。
【写真】は “生きてきた証” “ホンモノの証”
姪っ子のこと、自分自身の過去、家族のつながり、もう会うことのできない家族、今そばにいてくれる家族…
こういった現実を深堀りしていく中で、見えてきたテーマが【親子】そして【写真】でした。
【写真】が “親子の証”、“生きた証” として、「残る者たちの未来」へ通じる…
障害があるからマイナスと思われがちですが、そんな事はありません。
琴美やご主人へのインタビューで出てきた言葉の多くは「感謝と希望」でした。
そして健常者にも自分を認められずにいたり、好きになれなかったりする人もいます。
障害があるなしでは語れない、様々な家族の形があります。
そして、皆等しく、いつかは離れ離れになってしまう。
そんな時、微力でも残された家族の支えになるものは「生きた証」である【写真】だ!
とそんな答えに辿り着きました。
そして、それだけではありません。
一人ひとりの人生を【写真】として残すことで、それを見た人が自分と向き合ったり、周りの人に目を向けるキッカケにならないか・・・
できれば、前向きになったり、未来に向かっていく力になって欲しい。
そんな想いで《写真展》の開催を決心したのです。
写真展のゴールは「家族の大切さ」を知ってもらうことです。
それを彩る写真たちは、姪のように子供と一緒かもしれませんし、寝たきりのおばあちゃんと一緒かもしれません。
とにかく【親子】がテーマです。
必ずしも良い印象を与える写真のみではないでしょう。
辛い現実もそこには写し出されるかもしれません。
ですが、いずれの写真も、紛れもない【親子】の形、“証”であることには間違いありません。
「家族の大切さを多くの人に届けるための写真展」を知ってもらうためには、宣伝やコンセプトの周知が不可欠です。
ですが、今の私には周知するための力が足りません。
そこで、これらを可能とするために開催するのがこの『ファッションショー』です。
私にできることは何か…そう考えて「見ないふりをしていた過去」とも向き合いながら考え抜いた結果です。
ではなぜ、写真展の前段階として『ファッションショー』を選んだのか。
これはひとえに、私の経歴に由来します。
モデルとしての活動経験と、27年間行ってきた「ウォーキング」「ポージング指導」「ファッションショープロデュース」これらの経験を活かし、完成度の高い何かを作り上げるとしたら、まさに『ファッションショー』しかありませんでした。
これを通して「家族の大切さを多くに人に届けるための写真展」という次の段階への足がかりとしたいと思っています。
さらに『ファッションショー』を行うには『衣装』が必要です。
ここにも【親子】の関係性を深められる可能性があります。
それが「衣装をアップサイクルによって用意する」ということです。
成長した子供の着られなくなった服、お母さんやお父さんの思い出の服などといった服に新しいアイディアを加え、別の衣装として生まれ変わらせる。
この一連の過程の中で、親子でどんな服を使うか考える、どんな服を作るか考える、手に取ったときにその服から思い出を見つけ出す…そこに、いろんな形の“証”が生まれるでしょう。
さらに、出来上がった服そのものも新しい親子の“証”といえます。
だからこそ、アップサイクルでのファッションショーが有意義なものとなるのです。
最後に、なぜこれらを福岡でスタートするのか。
これには大きく二つの理由があります。
一つは、純粋に私にとって重要な要因であり、大部分を占める、最初に述べた福岡在住の姪、琴美とその子供の存在です。
写真展の開催と、その前段階としてのファッションショーの開催、これらは全て、琴美の存在とその子の誕生によって動き出したプロジェクトであり、常にその中心には琴美とその子がいなくてはなりません。
確かに、集客や宣伝力の大きさを考えれば、他の地域で行うことも一考でしょう。
しかし、私にとっては、琴美とその子がいて始まったものである以上、その二人と心理的距離はもちろん、物理的にも距離のある所で行うことには何の意味もないと思っています。
先日1歳を迎えたその小さな手に握られた時間は、そう多くはありません。
だからこそスタートは「福岡」で、全力で向き合いたいのです。
もう一つは、福岡が私の故郷であることです。
副次的な理由ではありますが、自身の人生の出発点である福岡を拠点にすることで、施設で育った私自身の「親子」という繋がりにも、私自身が目を向けたいと思っています。
アップサイクル親子ファッションショーや、その後行う写真展を通して、様々な親子のあり方を、是非皆様にも感じていただけたらと思います。
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